鳥類系2000種類の頂点に君臨する宇宙人 第2部

速い速度で飛び、母船に近付いた。長方形で凄く大きかった。入口が開き中に入った。とても広く天井も高い。しばらくして降りて、1つ目の部屋に入り、私は裸になって、光線で全身を消毒した。金属のベルトを腰に付け、左側のボタンを操作して浮き上がり、4人で飛んで、1つの大きな建物の前で降りた。中に入ると、金属の台が多く並んでいました。中には30人もいた。私の両腕を固定して、ナノキュウブの入った金属の直径10cm、長さ30cmの物を台の横に取り付けた。身体に入って来るのが分かった。台ごと、大きなカプセルの中に入り、光線が全身を照らした。5分位してカプセルから出ると、「終わりました。」と言った。「貴方も私達に身体を調べさせて。」と言われたので、「どうぞ。」と言って台の上に寝ると、「身体を固定しなくていい。慣れているから。」と言うと、「おー。」と言った。お腹を光で切り開き、細胞も採っていた。血液も多く採ったので、目眩がした。そのまま台を移動して、クリスタルの箱の中に、クリスタルでできた色んな形の物が、多く入って不規則に並んでいました。手をかざすと7色の光が点滅した。その上に寝かされた。その後これを私は、「細胞再生装置」と名付けた。元気になり、地球に帰って来た。手を振って別れた。1か月して10歳年上の女の人が、帰って来た。「2年ぶりだ。貴方は今後大変なことが起きるから、訪ねて来るのですよ。」と私の手を握って言った。「ここの近くに、ビルを4年後に建てるから、すぐに分かる。」と言った。その後私は癌になり、苦しむことになる。


坂本廣志と多くの宇宙人たちとの交流体験

宇宙人との出会い 1950年4月17日自宅の南側の30mの焼け跡で一人で遊んでいたら、空から銀色に輝いた円盤が降りて来た。ドアが開き中から綺麗な女の人が円盤の階段から降りて私の前に来て、「何をしているのか」と聞かれたから、「一人で遊んでいたの。」と言うと私の手を持って円盤の中に入った。父から教えられた通りにすると優しく受け入れられた。その後71年間多くの種族との交流が今も続いています。